金本選手の連続フルイニング出場記録、1492試合でストップ


お久しぶりです。山本です。
プライベートで何かとバタバタしてたりで、ずっと放置状態だったこのブログですが、今日ばかりは何か書かないといけないと思い、今モニタの前に座っています。


今日2010年4月18日、金本選手が続けてきた連続フルイニング出場記録が、1492試合でストップしました。
僕は横浜スタジアムでライブ観戦していたのですが、スタメン発表の際、4番のコールの所で「4番、サード、新井」というアナウンスを耳にした時、「ああ、不調だし、4番を外れたか」ぐらいにしか思いませんでした。しかし、「6番、ファースト、ブラゼル」のアナウンスを聞いた時点で「まさか」と思い、「8番、レフト、葛城」のアナウンスの時は、頭では「ああ、アニキのフルイニングが今、終わったんだ」と分かっていたのですが、感情が追いついていませんでした。
試合中はいつもどおり一緒に観戦している人たちと盛り上がっていたし、逆転勝ちで喜んだし、試合後に行った飲みの席でも普段通りに楽しんでいました。でも、家に帰ってきて、テレビやネットでスポーツニュースを見ていて、「ああ、今日は、プロ野球界にとって歴史的な一日だったんだな」という思いがじわじわと湧いてきました。


金本選手が広島東洋カープからFA移籍で入団した2003年当時の印象として、トリプルスリーを達成した偉大な選手だという認識は持っていましたが、個人的には、近鉄バファローズから移籍するという話が出ていた中村選手(現楽天)の方に期待していたのを覚えています。
阪神入団後は4番としての役割が多い金本選手ですが、2003年当時、負け犬根性が染みついていた(外野からの勝手な印象ですが)阪神に新しい風を運んでくれ、自身の実績や成績を犠牲にして3番を務め(てくれたと個人的に思っている)、18年ぶりの優勝に貢献してくださった金本選手の姿には言い知れぬ感動を覚えたもので、4番よりも3番の方がむしろ印象に残っています。


アニキは試合に出てるのが当たり前、と思いつつも、今シーズン開幕後、一時期はまともなスイングさえできず、レフトからも常に山なりの返球しかできていない状況の中、「もう記録のための出場はやめるべき」という声が耳に入りつつ、その指摘の妥当性を認識しつつも、「骨折してでも出続けていた人だ。今回も乗り越えてくれるに違いない」と心のどこかで思っていました。
もちろん、ただ出続けるだけならできたでしょう。しかし、最低限のプレーができない以上、チームのために自ら降板を申し出たアニキの英断に、拍手を送りたいと思います。


「1492試合で止まった」のではありません。「1492試合まで頑張った」のです。
今後、おそらくは破られることのない記録だと思います。
もちろん、まだまだ現役を続けてくれるはずですし、故障さえ治ればまた4番として活躍してくれるものと思っています。
今は、ただ、「お疲れ様でした」という気持ちですし、「怪我を治して、またこれからも頑張ってください」という思いです。


正直、まだ頭の中が整理できていません。
また後日、整理した上で再筆したいと思いますが、今日のところは、思いのままに記して終わりたいと思います。